捨てる神すらない


『脳に主観無し』
というネット記事をだいぶ前に読んだのでうる覚えだが
例えば部下に向かってバカクズ使えないなどと汚い言葉で罵ると
主観がないため自分自身にも言っているのと同じになり
あとからもやもやした自己嫌悪が襲ってくるというもので


丁度そのころタイガーウッズが勝負がかかった大事な場面で
相手のショットをベストショットしろスーパーショットしろとポジティブな想像をめぐらすというのを読んで
なるほどそれが自分に返ってくるのだなーなどと思ったのだが
それ以来PKを外す選手は
相手が蹴るとき外せ外せなどと思っているんじゃないかと思うようになった
理屈の真偽は勿論知らない
因みにウッズは
相手のミスで勝つのではなく相手がスーパーショットを打ってさえ
それに打ち勝つオレ様かっこいい的な思考らしいので
脳に主観無しなどという理屈とは少し違うかもしれない


身近な対人関係とかでも
ネガティブな事ばかり並べて考えていると自分がそっちの世界にいつの間にかいたりすることがよくあるので
このクズ野郎と思っても
そんな奴でさえ相手にしてあげるオレの懐の大きさはでかいくらいに思えば
少しは息の詰まる世界に新鮮空気が給気される気持ちにはなれるし、脳に与えるダメージが緩和されるだろう


不倫釈明での軽率な行動、反省、申し訳ない連発の
自己否定発言を繰り返していると本当に自分自身に返ってきて
本気で人を愛せない平均70点の優等生を演じ続けなければいけなくなるから
あんな会見しなければよかったと思う
軽率な行動、反省、申し訳ない でも
これほど人を好きなった自分、愛することがこんな素敵だと感じたことはないと
正直に吐露ってしまえば70点の壁をぶち破り覚醒のチャンスだったのに
全てを捨てる覚悟もなく中途半端に処理するくらいなら
開き直って全てを捨てて、なんでもいいから新たな何か拾って立ち上がるベツキだったのである
私は不倫なんぞしたことも無いが
あの会見の不快感は軽率な行動、反省、申し訳ないといったネガティブ満載に
主観なき脳が自分自身がそう言い訳している錯覚に陥るからなのかもしれない