心に刻まれる>心に響く

もう25年以上昔、リバイバル上映で観た映画スティングは
今でもダントツ1位の座は動かない(なのでブログタイトルStinger)
久々に友人に逢うとき鼻をこすっても、当然誰も反応はない。
もう25年以上昔、パンク末期にムーヴメントと距離を置くJAMとの出会いは
それから四半世紀たっても色あせず聞き続けている。
もしこれらと今現在初めて出会う事になっても
ダントツ1位の映画にはきっとならないだろうし
JAMを今から聞いてもこれから先25年以上聞き続ける様な
ことにはならないだろう。きっと

ぼくの頭に、振り返って叫んだ彼の顔がはっきりと焼き付いている。
−食らいついてこい!
ぼくは自転車にまたがった。ビンディングペダルにシューズをかちりとはめる。
彼が言った気がした。
「行けよ」と。


常々思うに出会いは、
立ち位置や、気圧や風速や温度、その時のコンディションで
衝撃力は大きく変わるはずなのだ。
満ち足りた充実した毎日ならば
向かい風も、プレッシャも少ない日々ならば
単に心に響く、良い作品だったで終わるものでも
肌寒い向かい風を受けている様な時に体内温度が沸騰するような
今の自分の中に刻まれる何かがあるならば
それは本屋大賞を取ろうが、取れずに終わろうがどーでもいいことなのだ。
と、長々と負け惜しみを書いてみる。
実際、本屋大賞を逃した作品や
ゴールデンスランバー以外の伊坂作品を読んだほうが
本屋大賞そのものの位置づけが鮮明になったりするなと
意地悪く、まだまだ負け惜しみは続くのだった。